思いがけず大切な人をうしなった時、悲嘆にくれる自分の気持ちをどうしたらいいんでしょう。
私は立ち直ることができるんだろうか?
いつになったら悲しくなくなるんだろう?
わき上がる疑問に答えが出ず、途方にくれた時、どうしたらいいのでしょうか。
私の経験を振り返ると、一番効果があったのではないかと思うことがあります。
①号泣セラピー(泣けるスイッチを決めて、1日1回は無理にでも泣く)
②書くセラピー(思っていることをひたすら書く)
③日にちセラピー(時間が過ぎていくことをただ眺めること)です。
喪失感とは
〝喪失感〟で検索すると、次のようにでてきます。
自己の価値観における大切な人や物、大事にしてきたものごとが失われてしまったという、悲痛な感覚や心境。寂寥感。「まるで心に穴が開いたようだ」などのように形容されることも多い。
実用日本語表現辞典
また、喪失感から立ち直るにはどうしたらいいのだろう?と検索すると〝家族葬のファミーユ(クリアン)の「喪失感」が表す感情と立ち直る方法。死別時にもできる6つのこと〟や、
〝Domaniの喪失感ってどんな感情?抜け出すためにできること〟というサイトに行き当たります。それをご覧になった方も多いのではないでしょうか。
どちらも、喪失感とはこういうもので、その原因や経過、対処方法などを教えてくれます。
では具体的に、大切な人をうしなった時、どのように対処したらよいのでしょうか。
喪失感 大切な人をうしなった時
Domaniより〝喪失感ってどんな感情?抜け出すためにできること〟を、引用します。
1:思いっきり泣く
行き場のない悲しみを我慢しても、気持ちは晴れるどころかますます大きくなってしまいます。
そんな人におすすめなのが、感情のままに思いっきり泣くことです。気が済むまで思いっきり泣くことで、自然と気持ちが軽くなっていきます。
一度とことん落ち込んでしまえば、その後は少しずつ気持ちを浮上させるだけです。
思いっきり泣くことは、私もすごく大事なことだと思います。
私は、2016年に思いがけず長女をなくした時、ショックが大きすぎて自分の感情を受けとめることができませんでした。
そんな時、1日1回は必ず泣くようにしていました。たぶん最初の2ヶ月くらいはそうしていたんじゃないかと思います。
泣かずにいると、たぶん自分は気がおかしくなってしまうんじゃないかと思って無理にでも泣くようにしていました。
そして泣く時は、数分だけ集中して泣くようにしていました。
泣くスイッチになるものを、いくつか用意していました。
①自宅の仏壇の前で、iphone で手嶌葵さんの「明日への手紙」を聴いて号泣する。
②内田麟太郎さんの「なきすぎてはいけない」や、サム・マクブラットニィさんの「どれだけきみのことがすきかあててごらん」などを、声を出して読む。
③亡き長女へ書いた手紙を声を音読する。
長女をなくして、最初の1ヶ月は、フルタイムの仕事を午前中は休ませてもらい、午後からのみ出勤していました。
気持ちが高ぶっているので、うまく眠ることができず、かかりつけの内科で抗不安薬を処方してもらっていました。
薬が効いて、もし朝起きられなくても大丈夫なように、午前中を休みにしてもらっていたのです。
抗不安薬は1ヶ月ほど、毎日夜寝る前に一錠飲んでいました。
服薬すると、4時間くらい通しで眠れるので、体力回復にはとてもよかったと思います。
服薬なしだと、1時間ほどで急に目が覚め、それ以降は眠れず、
<また、眠れないかも…。>という不安から本当に眠れなくなってしまっていたので、
最初の1ヶ月は薬の力を借りて、しっかり眠るようにしていました。
長女がなくなったのは、2月の下旬で3月いっぱいは毎日寝る前に服薬し、4月に入ってからは、かかりつけの先生に、そろそろ休みの前日とかは、飲まないで眠ることを試してみてねと言われたので、
休日前夜は、一錠の薬を半分に割って飲むことにして、少しづつ飲まない日を増やしていきました。
(その際に、今、身体は抗不安薬が毎夜入ってくることが基準になっているから、急に飲まないと離脱症状といって、全く眠れなくなることがあるからね、と言われました。)
そしてGW明けには、ほぼ週に1~2回の服薬で大丈夫なようになりました。
そのうち、抗不安薬を持っているだけで<眠れなかったら飲めばいい…>と、安心できるようになり、半年後くらいには、月に2~3回の服薬で生活できるようになりました。
このような経験から私は泣くことも大事だけれど、眠ることも同じくらい大事だなと思いました。
2:趣味や仕事に没頭する
喪失感に囚われている間は、悲しみの原因となった出来事ばかりを考えて頭がいっぱいになってしまいます。
趣味や仕事などに没頭し、悩み悲しむ暇もないほど熱中してみましょう。
趣味の中でも、全身を動かすスポーツはリフレッシュに最適です。体を動かしているときはネガティブな思考に囚われにくく、一時的に悲しみを忘れることができます。
仕事はやればやるほど成果として数字に表れるためのめり込みやすく、自分の自信につながるためメリットが大きいです。
悲しみを忘れる時間をできるだけ長く確保し、いつの間にか喪失感から抜け出している状態を狙いましょう。
Domaniより
趣味や仕事に没頭するのも、とてもいいことだと思います。
まるで、大切な人がなくなっていなかった時のように過ごすことも大事ではないかと思います。
いつも悲しみに焦点を合わせてしまうと、焦燥感が大きくなり、耐え難く辛い気持ちになってしまうからです。
意識をずらして、自分のこころの負担を少しでも軽くできるとよいのかもしれません。
3:誰かに話を聞いてもらう
喪失感を一人で抱えきれないときには、誰かに話を聞いてもらうようにしましょう。あまりにも喪失感が大きすぎるときには、自分だけでは対処できないこともあります。
家族や友人など、自分の気持ちを打ち明けてもよいと思えるような信頼できる人に相談してみましょう。
身近な人には相談しにくい、心配をかけたくないという場合はプロのカウンセラーに相談することをおすすめします。
喪失感は長く抱えていると、心の病気に発展してしまう可能性もあります。決して侮らないようにしましょう。
〝喪失感ってどんな感情?抜け出すためにできること〟Domaniより
誰かに話を聞いてもらう、というのは簡単ですが、実際は難しいと思います。
大切な人をなくすということは、悲しみが深すぎて、本当にピタッとした表現で気持ちを汲んでもらえないと、さらに深く傷ついてしまい、心を閉ざすことになりかねないからです。
特に周囲にいる人は、本人が口にださない限り、〝何事もなかったように、普通に接してくれること〟が一番ありがたいです。
〝かわいそう〟や〝お気の毒〟など、憐れまれる言葉がけが、なによりつらいです。
見えないけれど、大出血している人に対して、普通のひとができることはたぶん、〝そっとしておく〟ことなのではないでしょうか。
なにを言っても傷つけてしまいそうだから言葉がない、とか、少し微笑んで沈黙してくれるだけでも、十分癒やされます。
私の場合は、自分の思っていることをそのまま「書く」ことをしていました。
「セルフ・カウンセリングⓇ」といって、自分で書いて、自分で読み返して自己理解を深めると言うやり方があり、それを長年やっていたのです。
私は、長年「セルフ・カウンセリングⓇ」をやっていたのに、長女がこのような結果になって、
<一番大切な人を助けられずに、いったいなんのための学びだったんだろう…。>と自分を責めたこともあります。
<自分のことが信用できない…。>
<私は生きている価値がないんじゃないか…>
とさえ思いました。
なんとか立ち直ることができたのは、書くことで自分の内面の表現し、少しずつ感情を解放することができたからではないかと思います。
2016年から2023年までの7年間を思い返してみると、やっぱり最初の2年間、三回忌を迎えるまでは七転八倒する思いで
「衝撃」「否定」「怒り」「抑うつ」のプロセスを辿っていたのではないかと思います。
私の解放した思いはこんな感じです。
<娘たちとずっと一緒に(生きて)いたかった。>
<娘たちふたりが幸せになる姿がみたかった。>
<他人が、当たり前のように手に入れているように見えるもの、どうして私には手に入らなかったんだろう…>
こういった、願ってもかなわない現実、悲嘆と絶望、耐え難い苦しみを、そのまま味わうことが、よかったのかなと思います。
ありのまま<悲しい、苦しい。辛くて辛くてもうどうしようもない…。>(精神的に負担がかかるので、長い時間はしません。反芻するのは、5~10分程度です。)
それをただそのまま受けとめ、反芻し、日々が過ぎていくのをボーと眺めているうちに、だんだんと落ち着くことができたのかもしれません。
喪失感 いつになったら悲しくなくなる?
宇多田ヒカルさんの〝真夏の通り雨〟に、「いつになったら悲しくなくなる?教えて、正しいサヨナラのしかたを」という歌詞があります。
これはもう、ひとそれぞれ、というしかありませんが、効果的なのはやはり、自分の内面を表現し尽くすということではないかと思います。
いつも宇多田ヒカルさんの話になってしまうのですが、宇多田さんは、精神分析に9年間通って、自分の内面を精神分析医に「話す」ことで、さらに気づきを促してもらって、自己理解を深めていったのではないでしょうか。
今は、リモートでカウンセリングをしてもらえるサイトもたくさんあるので、自分に合うものを見つけてもよいかもしれません。
どんな人でも、いろいろなことがうまくいかず、悩んだり落ち込んだりすることがあると思います。
眠れない日か続いているような人は、お医者さんにかかることを選択肢に入れてもよいのかもしれません。
長女は、悩んで落ち込んで、自分ではどうしようもない状態に陥っても、かたくなに医療を拒み、最悪の結果を招いてしまいました。
お医者さんにかかることが、まるで一生薬漬けになって治らないように思い込んでいたようです。
もしかしたら、エリート意識のようなものが、精神科の医療を受診することの邪魔をしていたのかもしれません。
長女には早い段階で医療や薬の力を借り、人生を立て直してほしかったです。
“助けて”と、意思表示をすれば、どれだけたくさんの手が差し伸べられたかわからないのに。
「○○、みんな泣いてたよ。」
長女の亡くなり方は、本当にたくさんの人を傷つけました。
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